みなさんこんにちは! バイトの森山さんです。
さて、今年1月に哲学対話が開催されました。 おかげさまで3回目の開催となりました!! 今回ももちろん東京大学大学院教授の梶谷真司先生を迎え、さらに今回は上智大学文学部講師の梅田孝太先生も初参加! さらにパワーアップした哲学対話イベントとなりました。
目次
哲学対話とは?
そもそも哲学って?
皆さんは、哲学と聞くと何か堅いイメージを持ちませんか?? ソクラテスの弁明や文化主義とか…。なんだかよくわかんないということが多いと思います。しかし、この哲学対話の大きなポイントはこの哲学のもつ堅苦しいイメージとはかけ離れており、
問う・考える・語る・聞くが柱となっています。
この問う・考える・語る・聞く(以下、4つの柱と称す)は、全ての学びの基礎になっており、特に問うことは学びを増やす起点となります。「哲学」という学問を学んでいない方でも簡単に哲学を触れることができるのです。
哲学対話の発祥は?
哲学対話の発祥は、ハワイだと言われております。 もともと進学校でもなければ、やんちゃな子たちであふれかえっていた高校である教員が哲学対話を始めたところ、生徒一人一人が物事を考えて行動することができ、学校全体がいい方向に変わっていきました。現在では、ハワイでもトップクラスの進学率を誇る高校になっています。 現在では、世界各地でこの哲学対話が広がっており、小学生でも哲学対話ができるので授業で採用している学校もあるようです。
どのような効果が?
先ほど4つの柱として、問う・考える・語る・聞くを挙げました。この4つの柱がどのように作用するのかを解説します。
問う(考える)力
問うことで考える能力を養うことができます。また、考えることを深めたり、広がることで好奇心を持つことができます。
語る力
自分の言葉で語ることで、自分の考えを持ち、そして自分の考えを率直に伝える。そうすることによって他人にどのようにしたら自分の考えが伝わるかと工夫をしたりするので、考える力を養いながらコミュニケーション能力も養うことができます。
知的安心感
探求への励ましとなります。 話題とそれた話やとんちんかんな話でも何でも言っていいというのがとても大きなPOINTではないかと思います。 よく会議やゼミで余計なことを口出ししたら、場の雰囲気を壊してしまうんじゃないか。 こんなこと聞いたりしたら怒られるんじゃないか。といった経験は誰しも何度かは経験しているかと思います。この対話では、何を言ってもいい。そして、発言者の発言に対して否定や否定的なことを言ったりしない。この2つの約束があるからこそ「浅はかな知識でもいい。何を話しったっていいんだ。」という知的安心感を持つことができます。
相互承認
これまで挙げてきた 問いを考える力、語る力、知的安心感のまとめると「相互承認」というお互いを認め合うことが形成されます。世代の枠組みを超えてみんな同じ立場、発言はみな同じ価値とすることで、相手の話を聞いて、対等に話し、そして互いを認め合うことが可能となります。
第3回目の哲学対話の様子
2019年1月に第3回目の哲学対話を開催しました! 今回も東京大学大学院教授で昨年、哲学対話についての本「考えるとはどういうことか~0歳から100歳までの哲学入門~」を出版されました梶谷真司先生と初参加で上智大学文学部の講師・東京で哲学カフェを開催する梅田孝太先生を迎えての哲学対話となりました。 今回は、高校生ほか一般の方々の参加も多くみられ世代の枠を超えて、とても内容の濃い哲学対話となりました!
哲学対話の流れ
アイスブレイク
まずは、アイスブレイクとして5~6人を1グループとして円になり、1人ずつ1分間自己紹介をします。その直後、1分間の質問タイムとして自己紹介をした人にその他のグループメンバーが質問をします。これは自己紹介に関する質問だけでなく、なんでも聞いていいまた、答える側も必ずしも真面目に答えなくてもいい(作り話でもいい)。とにかく精一杯1分間自己紹介をして、精一杯1分間質問をするというアイスブレイクをしました。1分間という短い時間ではありますがこれが結構、頭使うんです(笑)
テーマを決めよう!
いよいよ哲学対話のほうに入っていきますが、先にテーマを決めます。
テーマは、いくらでも出していいので思いついたものからジャンジャンあげていきます。今回は、11個のテーマ候補があげられました。あげた後は、挙手で多数決を取ります。1番挙手が多かったテーマ候補をテーマとして対話をしていきます。 今回は、「お年玉は、何歳までもらえるのか。何歳までならあげるか。」でした
いよいよ哲学対話へ!
哲学対話では、このボールが大きな目印となります。 このボールを持った人が話す権利があり、持ってない人は話しての話を聞く側になります。話したいことがあれば手をあげてボールを受け取るのを待ちます。あくまでもボールを持ってないときは話ができません。そして、ここも大事なのですが、ここの場面はあんまり話せないかなと思ったら別に無理に話をせず聞くだけに集中していてもかまわないのがとても大きいPOINTの1つです。
最初は少し硬い雰囲気もありましたが、徐々に解け始めテーマのお年玉について議論がヒートアップしていきました。 お互いの意見を尊重し合うからこそ、このような考えもあるんだなぁと思うことだらけでものすごく新鮮でした!
特に印象的だったのが、小学生の男の子の意見でした。
「僕は、別にお年玉が絶対欲しいと思ったことはない。いつも貰ったお年玉は、ママに渡しているし、僕がお年玉を使って何か買ったことがないから貰ってもあんまりって感じがする。 いつもスーパーにママと買い物行っても欲しいものは買ってくれるし、別にお年玉なくてもいいかなと思ったりする。」という意見でした。
私は、ものすごい衝撃を受けましたね。私が小学生の時、正月の楽しみはお年玉をもらうことだったので。ですが、この意見で納得させられるのがお年玉を自分で使って何かを買ったりする体験がなかったからこそそこに必要性を感じなかったり、またお年玉を親に預けているので自分が貰うという感覚にはならない。 ということ。これは私だけでなくほかの参加者の方々も驚いた意見でしたし、お年玉をあげる側の大人たちがもらう側の子供たちの意見を率直に聞けるいいお題だったと思っています。 大人の意見もこどもの意見も同じ対等な価値ある意見ですので、新鮮な気分になります!
哲学対話の終わりに。
熱い熱い対話も気が付けば終わり時間に。もっと話していきたいと思うますがあえて最後に意見をまとめることはしません。なぜなら、これからも哲学対話は続くからです。 ん?とおもった方もいるかと思いますが、結論やまとめをしてしまうとその時点でこのテーマは完結してしまいます。おうちに帰ってからも、少しモヤモヤ感をもっていただけたらまた、自分なりにこのテーマの問いに対して深く考えることでしょう。いつかテーマと同じような体験に遭遇したらその時も自分なりに考えて行動などをすることができると思います。 考えることのスタート(起点)は、一緒に作ります。でも、ゴールはあるのかな。問い続けることは永遠だと思います。
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